当山海円寺の草創は、今から八百有余年の昔、治承年間(1180年頃)
旭城の城主本吉四郎高衡公(平泉藤原秀衡公の四男)の菩提寺として創寺されたと伝えられています。
当初は旭城のすぐ前に開山されたが弘和年中(1381年頃)山津波におそわれたことで現在の高台に移ったとゆう。
当時は名刹にふさわしく七堂伽藍が建てられ祈願寺として栄えていましたが明治と昭和12年等の火災により焼失しました。
現在、難を逃れた本尊薬師如来と仏像数体が在るのみです。
境内の墓所には本吉四郎高衡公のもとされる五輪の塔は、寺移転と同時に移されたものだといわれている。
明治29年(1896年)大津波が襲来しました「三陸大津波」です、その時も大きな被害がありました、
この災害の慰霊の碑が建立されています。